<お役立ちメニュー>やっぱり賃貸探しで役立つのがインターネットブログ:08月19日
おいらは両親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家で日本酒に溺れるパパ、
そのことでパパをなじるお母さん。
そしてその怒りを姉貴やおいらにぶつけ、
姉貴はその怒りをおいらにぶつけていました。
家には居場所がない…
息子の時のおいらは
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
お母さんに見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
おいらは当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
お母さんは言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
おいらがみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通の息子でしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのないパパとお母さん、姉貴との確執。
その時のおいらの望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をウエストにあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
連日のように思っていました。
そしてある時、おいらは決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そしておいらは一度だけ両親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
両親は頭を下げました。
でも、そんなおいらでも
今は少しづつパパもお母さんも姉貴も
許せていっています。
姉貴に息子が産まれ
実家で息子たちと遊ぶようになった時に、
姉貴から
「ありがとう」と感謝をされたことで
おいらの中で何かがかわりはじめたんです。